#06
2026.09.09
認知シャッフル
次の文章を読んで、後の問い(問1〜8)に答えよ。
本設問は読解力を査定するものではなく、倫理や一般教養は採点に考慮しない。虚偽や偽証は可とするが、あなた自身の思ったように解答すること。
(配点 50)
問題文は下記に続く。
図-1
「夜道、被害者に背後から忍び寄り、所持していた包丁で何度も切りつけた。この供述に誤りはないな」
「はい。研ぎたての包丁で。自分がするべき行為でした」
「動機は? 被害者とお前との間に接点があるようには思えない」
「なに?」
「失礼しました。真相を、お伝えしましょう」
「何が言いたい?」
「まず、息を整えてください」
その後、容疑者は1時間ほど黙り込み、ハザワ刑事との対話を拒む。取り調べは中止された。
凄惨な暴行事件が3件、立て続けに発生した。
3件の共通点として、いずれも刃物や鈍器による執拗な暴行が加えられているほか、各容疑者は口を揃えて意味不明な供述を残している。
最も奇妙なのは、いずれの事件においても被害者と加害者の間には面識がまったくなかったことだ。
──例の組織が関与している可能性がある。
そういうわけで、このヤマは自分のところに舞い込んできた。
*
一連の事件の証拠品として提出されたものは「音声作品」だった。
図-2
『【安眠導入】眠れない子羊くんへ。慈愛深過ぎるじっとりシスターの、脳がとろける認知シャッフル睡眠音声【KU100】』というタイトルで、大手コンテンツ販売プラットフォームで公開されていた。現在は販売が差し止められているが、累計300ほどのダウンロード数があったという。
鑑識による検査によると、暴力を教唆するような内容は確認できないとのことだった。いわゆるサブリミナル効果を発揮するような細工も存在しなかった。
鑑識から受け取ったデータを読み込む。
ヘッドフォンを装着し、再生ボタンを押す。
若い女性が、意味不明な言葉を発している。
商品概要に目を通すと、安眠を目的とした作品のようだった。
「認知シャッフル睡眠法」という入眠方法があるらしい。
互いに関連性のない言葉を聞き続けることで脳の思考を休め、眠りにつきやすくなるそうだ。
導入ののち、言葉の列挙が始まる。
特徴的な息遣いが聞こえる。
「通知表」
「渡り鳥」
「(ア)ラタトゥイユエイホウ」
言葉にはとりとめがなく、頭に明確なイメージが浮かんでこない。
とても、これが凶行のきっかけたりえるとは思えなかった。
「レイディオ・ペンチ」
「ヒクイドリ」
「(イ)テッカンビール」
多忙な時期が続いて、睡眠をおろそかにしていたためだろうか。
無性に眠気を感じ、ひとりでに椅子の背もたれに体重を預けていた。
ふと気がつけば、無意識のうちに目を閉じていた。
意味不明ではあるが、言葉のひとつひとつが頭に染み込んでいくような、そんな感覚があった。
ぼんやりする頭に、ふとイメージが浮かんだ。
幼いころに住んでいた団地の風景だ。
なにかに手を引かれるような感覚があった。
幼い自分の腕を握る母親……そんな、曖昧で生暖かい記憶が呼びさまされた。
眠りに落ちそうになった瞬間、手元に置いてあるスマホが振動した。
図-3
ヘッドフォンを外す。
スマホを手に取り、通話に応答する。
捜査本部からの連絡で、本件の加害者のひとりが取り調べに応じる意思を見せたということだった。
「くだらない。こんなもの……」
小さく吐き捨て、再生を止める。
眠気を払うために、目を強く擦る。頬にうっすらと涙が伝っているのを感じた。
「ハザワさん。最近眠れてます?」
気づけば、何十分もデスクの椅子に座りっぱなしだったようだ。
露骨にこちらを気遣うような口調で、ヤナギは机に散らばった資料を見下ろした。
「そんな……眠れてないように見えるかな」
自分の姿を顧みてみる。
たしかに、規則的な生活ができていないことは事実だ。
自分が一連の怪死事件の調査に当たりはじめてから1年ほどが経った。自分の相方はそれまでに2回変わっていて、ヤナギは3人目となる。
この前の、██市の小学生の連続怪死事件はとくに……担当した者たちにとっても精神的負担の大きいものだった。
ヤナギはそこまで優秀な実績があるわけでもない。
自分よりずっと若く、経験豊富とはいえない。
しかし、一連の事件に対する誠意はほかの誰よりも強かった。
なにより、この連続的な不条理な死に、明確な怒りを感じていた。
その姿勢は信頼できる。
一連の怪死事件の裏には、組織的な悪意がある。
何者かが、この社会を破壊しようとしている。
本意ではないが、我々はそう結論づけるしかなかった。
「見るからに寝不足ですよ。身体が資本でしょ」
ヤナギは自分のデスクに、そっとなにかのパッケージを置いた。
フィルムでパッケージされた、粉末状の薬のようだった。
図-4
椅子に座ったまま、私はそれを手にとる。
「睡眠導入のサプリで、最近よく使ってるんです。よかったら」
そうか、と答えてから、無意識のうちにそっけない返事をしてしまったと気づく。
ヤナギはあまり気にしていない様子で続ける。
「ハザワさん、休めと言われて素直に休むような人じゃないでしょうし。それならせめて、睡眠の質を高めるといいですよ」
「ありがとう」
簡潔に礼を述べる。
しかし、実のところ使ってみる気にはならなかった。
こういったもので自分の生活が良くなるとは思えない。
「睡眠の質、といえば……」
ヤナギが切り出す。
「例の音声の件、ネットのコミュニティを探っていくつか情報を掴みました。共有します」
「助かる」
受け取ったサプリメントをデスクの引き出しにしまう。
その後、ヤナギが送信してくれたデータファイルを開き、目を通す。
そのうちのひとつに、例の音声作品で声優を担当した人物、飴野マアのブログがあった。
それを開く。
投稿内容をひととおり読み終えた。
彼女は不利な条件の仕事を強いられていて、そのせいで夢が潰えた。悲観的な内容の文言からは、そのようなニュアンスが読み取れた。
「なるほど……」
無意識に息をつく。またこれか、という思いだった。
まず、理不尽に苦しむ者がいる。
そして、その憎しみを……復讐を、代行する者がいる。これまでの事件には、決まってそのような傾向があった。
「また、このケースですね」
ヤナギも同じ意見のようだった。
こちらの案件も、かの怪死事件に連なるものである。
それらには、裏で手を引く黒幕がいる。
「飴野とはコンタクトが取れませんでした」
「そうか」
「しかし、例の組織が関与しているのは間違いありません」
我々は「まよい猫の学び舎」なる組織の存在を突き止めた。
カルトなのか、詐欺集団なのか、どれくらいの規模であるのか……その正体はまだわかっていない。
連中は仲間を増やす。
報復を正当化し、善良な人々を混沌と暴力の世界に引き摺り込む。
それがもっとも悪質だ。
ヤナギは自分で手に入れた情報を誇示するように、やや得意げに言葉を続けた。
「ブログサイトに残っていた情報から、声優が使用していたメールアドレスにアクセスできました。彼女のメール履歴から、「学び舎」の関係者と思われる人物とのやりとりを発見しました」
「よくやった。見せてくれ」
はやる気持ちを抑えてメールに目を通す。しかし、いまいち要領を得ない。荒唐無稽だ。
このメールに決定的な証拠が含まれていれば、話は早かったのだが……。
「呪い、か……」
無意識に呟いていた。
そのやりとりには、「呪い」という言葉がたびたび使用されていた。
「音声に呪いを込めて、事件を起こすように仕向けた……なんてこともあるかもしれませんね」
ヤナギが苦笑を見せる。
「そんなものはない!」
想定以上に語気が強くなった。
「……すまない」
すぐに訂正する。ヤナギはさほど気に留めてはいないようだった。
「なんにせよ、この音声に何かがあることは間違いないでしょう。今一度、分析班に回してみます」
「頼んだ」
加害者への取り調べ、被害者の身元調査、ネット上の情報痕跡……すでにあらゆる情報にアクセスした。
しかしながら、まだ真相には辿り着けていない。
音声データを自宅に持ち帰り、幾度となく音声を聞き直した。
何度聞いても、当然のことながらなにかが掴めるわけでもない。謎の言葉の羅列に脳を揺さぶられるだけだ。
「扁桃体調律フォーク」
「(ウ)ノワラシゴ」
作中に登場する、明らかに造語や固有名詞である言葉を抜き出し、記録してみる。
法則性はつかめない。
遅々として進まない調査に、神経がささくれ立っているのを自覚する。
ヤナギに言われたとおり、睡眠不足が判断を鈍らせているような気がする。
少し仮眠を取るべきかもしれない。
デスクから離れ、ソファに横たわることにする。
図-5
部屋の電気を消した。
スマホのアラームを2時間後にセットし、目を閉じる。
身体の力を抜き、曖昧になっていく意識に身を委ねる。
さっきまでずっと聞きつづけていた、例の音声が脳に反響するような感覚があった。
「忘れてませんか?」
「忘れてませんか?」
「忘れてませんか?」
思わず息が詰まりそうになった。ふいに頭の中でなにかが弾けるような感覚があった。
慌てて目を開こうとするが、瞼が接着されたように、筋肉が硬直している。
閉じた視界の中で、イメージが浮かぶ。
強い力により痛めつけられる1人の人間。
縄で柱にきつく結びつけられ、苦しみに悶えている。
自分は真新しい刃物を手にしている。
この刃で、あの縄を切らなくては。不条理の楔を断ち切らなければ。
「扁桃体調律フォーク」
「研ぎたての包丁」
望んでもいないイメージが、ひとりでに自分の頭で展開する。
見えていないはずのビジョンが、手に取れるほど鮮明に目の前にある。
中身を詰め込みすぎてついに弾けた袋のように、得体の知れない意識が溢れ出て止まらない。
私は……
これは、まさに……
気がつくと、舌を強く噛んでいた。
正気を取り戻すために、無意識のうちに行っていたのだろう。血の味が滲む唾液を飲み込み、ソファから立ち上がる。
喉がひどく乾いていたし、全身に不快感があった。キッチンに向かって歩き出す。
図-6
自分が思っていた以上に、疲労が溜まっていたようだ。
ここまではっきりとした悪夢を見るようなことは珍しい。
これまで、もっと残酷で救いようのない事件に何度も関わってきた。
こんなことでうろたえている場合じゃない。
キッチンにたどり着く。コップを手に取り、水をあおる。
深く息を吐き、落ち着きを取り戻す。
一連の事件を起こしている連中は……間違いなく正気ではない。
狂った相手と対峙する以上、こちらは正気でなくてはならない。
*
インターホンが鳴った。
カメラを確認する。ヤナギのようだった。
毅然とした表情で、玄関扉の前に直立している。勤務時間外だから私服だ。
連絡もなしに突然現れることなど、これまでなかった。
こんな時間になんの用だろうか? 不自然さは否めない。
なにか事件に関して重要な手がかりをつかんだのだろうか。
インターホン越しにすぐ開けると伝え、コップに残った水を飲み干してから玄関に近づく。
扉を開けた。
ヤナギは無言で、硬く結んだ表情を変えずに中へと入ってくる。
その手に、包丁を握りしめていた。
研ぎたてのような、真新しい刃の光る……。
図-7
問題文は以上となる。次の問い(問1〜8)に答えよ。
本設問は読解力を査定するものではなく、倫理や一般教養は採点に考慮しない。
虚偽や偽証は可とするが、あなた自身の思ったように解答しなさい。
せんせいからの案内を受け取りたい場合は、メールアドレス等を入力のうえ解答すること。