#02 アクスラについて

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ビバレッジ・ビレッジ

図-4

 父が死んで、10年ぶりに故郷に帰ることになった。

 東京から地元までは遠く、日帰りで訪れることはできない。生活に余裕がないこともあり、大学を卒業してからはほとんど足を運ぶことはなかった。

 私の故郷には大きな飲料工場があった。住人のほとんどはそこで働く社員であり、私の両親もまたそうだった。

 幼少期の記憶のほとんどが、淡白な清涼飲料水の風味とともにある。蛇口から出てくる水と同じくらい、そのドリンクを口にしていたと思う。

 飛行機と特急を乗り継ぐ長い道中のさなか、時間つぶしに故郷の名前をネットで検索してみることにした。

 地域の役所のチープなホームページや個人のSNSアカウントにくわえ、10数年前に隣村と併合され██市となり、現在は名前が失われていることを記述したウィキペディアの項目などが見つかる。

 とくにめぼしいものはないが、未解決事件を扱うサイトが一件ヒットした。実際に起きた事件を個人的視点から煽動的・陰謀論的に語る内容で、興味深くはあるが浅薄な印象を受ける。移動中の暇つぶしにはうってつけで、しばらくそのサイトを流し読みすることにした。

 私の住む地域を中心で販売されていた清涼飲料水にまつわるトピックを見つけた。町としては現在消滅しているが、飲料メーカーの小規模な企業城下町だったあの町は外から見れば、それなりに個性的なものだったらしい。最終更新が3年前となっている。

 サイトのページをスクロールし、概要を眺めてみる。書かれているのは「とある飲料会社が(イ)ショウアクしていた土地」「ある事件により町の名前が消えた」「そこでしか販売されていなかった謎のドリンクがある」といった内容だ。飲料会社の城下町だということで、記事名は「ビバレッジ・ビレッジ」と記されている。

 都市伝説や未解決事件、オカルトを扱うコンテンツとしてはいささか地味な印象を受ける。サイトについているコメント欄も盛り上がっていないようだった。

 とくにめぼしいものはなかった。興味を失い、スマホを閉じる。目的地に到着するまで、座席のシートに横たわって目を閉じることにした。

 その企業は当時珍しかったグァバやドラゴンフルーツといった果物を使ったフレーバーやメンソールの風味を強調した炭酸ドリンクなど、ユニークで挑戦的な商品を多く扱っていたことを覚えている。ローカル局でのみ放送されていたCMも印象深かったが、あまり売り上げは芳しくなかったらしい。

 全国展開を視野に入れていたとのことだが、けっきょくのところその目論見は頓挫した。とある商品による出荷時の事故で引き起こされた食中毒事件により企業は倒産し、その名が歴史に残ることはなかった。私の両親はそこの商品開発部だった。彼らもまたその煽りを受け、職を失ったはずだ。

 両親が仕事を失うなんて、それなりに衝撃的な出来事だったに違いない。退職金なども出なかったはずで、新しい勤務先を見つけるのも簡単ではないだろう。

 なのに、私は当時のことをほとんど覚えていない。閑散とした田舎町に生まれ、クラスがひとつしかない小学校に通い、(ウ)サップウケイな賃貸住宅に住んでいた。

 私が覚えているのは、そういった、ぼんやりとしたどこにでもあるような記憶だ。

 父のほかに、母と病弱な姉、それからまだ存命の祖父母が暮らしている。お互い、とくに深く語り合うことはない。再会ののち、葬儀は事前に取り決めていた手順に沿って円滑に終わった。

 葬儀のあと、私は生前彼が私物を溜め込んでいた蔵の清掃を任されることになった。

 使い道のない物品は処分し、価値のあるものは売りに出す。めぼしいものがあれば持ち帰っていいそうだが、あまり荷物を増やしたくはない。

 彼は無口で、あまり多く物事を語らなかった。どんな人物だったか記憶もおぼろげだ。

 ほこりっぽい蔵の中から見つかったのも、家具や日用品などを除くと当時の会社の宣伝に使われていたブリキ製のサイネージ(注2)や看板だとか、ロゴ入りの古い段ボール箱など、仕事に関係するものばかりだった。個人的な趣味や娯楽に使うようなものやコレクションは見当たらない。

 別に彼と関わりが少なかったとか、仲が良くなかったとか、そういうことはないはずだ。なのに、あまり明確な記憶がない。あまり家族との思い出に執着しない、クールな子どもだったのだろうか?

 掃除のために、隅に積まれた段ボールを外に出した。手元が滑って、そのうちのひとつを足元に取り落とす。

 拾い直そうと持ち上げたとき、老朽化したボール紙を破いてしまう。中から筒状の軽いものがいくつか転がってきた……ビニールが未開封の、A4サイズのポスターのようだった。

 ひょっとしたら父の私物なのかも、とかすかな期待と好奇心を抱きつつ、そのうちのひとつを開封し、広げてみる。

 なにかの広告ポスターだった。缶ジュースの宣伝写真のようだ。「アクスラ」という商品名ということがわかる。

図-5

 アクスラ……。

 よく両親が新商品を家に持ち帰ってきたことを思い出す。それでもいまいちピンとこない商品名だった。

 ポスターの質感は古いが、これまで未開封だったためか新品同然だった。

 しかるべき掃除や物品の処分を終えたのち、そのうちのひとつを記念に持ち帰ることにした。家族、とりわけ父のことをぜんぜん覚えていない自分のことがなんだかひどいやつのように思えてきて、せめて彼の遺産のうちのひとつを手元に保存しておこう、と思ったのだ。

 私は職場に申請した休みよりも一日早く、実家をあとにすることにした。思いのほか話したいこともなく、なんだかここにとどまっているのが気まずくなった。

 いつでも帰ってきていいんだからね、と母は言う。彼女は荷物の少ない私に、小学校の卒業アルバムを手渡してきた。見返す気にはなれないが、断る理由もないので受け取っていく。キャリーバッグにそれを入れても、容量はじゅうぶん余っている。

 帰りの特急に乗る前に、駅前の居酒屋で地元の友人たちに会うことにした。

 私の帰省を知ったそのうちのひとりが時間を作ってくれたらしい。正直あまり話すことは思いつかなかったが、せっかくの手配してもらった機会だから顔を出すことにした。

 高校時代のバスケ部のチームメイトたちだ。彼らは合併後も地元に残っていて、それぞれここで働いたり、家庭を持ったりしているようだ。

 話はそれなりに盛り上がり、私は懐かしい話題を3人の旧友たちと楽しんだ。地味で退屈だと感じてならなかった10代のころの記憶も、チェーン居酒屋の軽食と安いアルコールとともに改めて思い起こすぶんには悪くない。

 旧友のうちのひとりが、私が足元に置いていたトートバッグに注目した。私はそれを広げて、彼らにそれを見せてみる。

 ちょうど彼らの両親もまた、私の両親が働いていた会社の社員であるはずだ。私と同じ世代の子どもならほとんどがそれに該当する。

 みなが興味深そうに、テーブルの上に広げられたポスターに注目した。いずれも反応は渋い。誰もこの「アクスラ」については知らないようだった。この会社の商品であるのなら、このうちの誰かはある程度認知していても不自然ではない。

 私たち4人のうちの1人が、じっとポスターを見つめた。ゆるい雑談の流れを断ち切って、彼はいきなり険しい表情を作った。

「お前、これはダメだよ、なんでこんな……」(注3)

 そんなことを言っていた。

 なにを思ったかと思えば、彼はそれを手に取ると、両手でビリビリに引き裂いてしまう。私たちはぎょっとしてその行為を追及するのだが、彼は取り付く島がなかった。いっさい私たちと言葉を交わさないまま、破いたポスターの破片を持って店から出て行った。

 私たちは旧友の奇行に顔を見合わせた。それからは会話もうまく繋がらなくなってしまい、釈然としないまま解散となった。

 時間通りに特急に乗り、私は故郷を後にした。

 帰省からしばらく経ったあとも、どうにも「アクスラ」について心残りがあった。仕事のかたわら、余暇の時間にはそれについて調べ続けていた。

 自分の記憶にはなにも残っていない。検索してみてもめぼしい情報はなく、ネットにある真偽不明の文言を又聞きしただけの情報量の少ないYouTubeの動画がちらほらあるだけだ。

 卑近な解説動画を見たあと、それの関連としてYouTubeページに一件の動画がサジェストされた。「懐かしローカルCM集 その2」と題されたそれが自動再生される。見るつもりはなかったが、そのままぼんやりと目を通した。

 テレビ画面を直撮りした荒い画質の転載動画で、編集の質は良くない。再生数も100回に満たず、どうしてこのような動画がサジェストされたのか疑問に思った。

 シークバーを適当に動かして動画を飛ばそうとしたとき、ふと手が止まった。

 軽快なBGMと、ビーチを捉えた陽気な映像。CMの出演者が缶をカメラに向かって突き出す。手に持っている缶には、「アクスラ」と書かれているのが見える。

 これまでに知り得た情報によると、アクスラのテレビCMは私の故郷、すなわちメーカーの本社があった地域周辺のみで放送されていた。放送時期には、私はすでに生まれている。当時これを見ていたとしてもおかしくはないが、この映像にはいっさい覚えがない。

 幼いころには、友人たちとテレビCMのフレーズをふざけて真似し合うものだ。それでもまったく覚えがない。

 ふと思い立って、私は該当動画のアクスラCM部分を切り取り、保存した。あまり使っていなかったSNSのアカウントにログインし、動画を添付した投稿をポストしてみる。

 パスワードを思い出すのに難儀した。駄目元で自分の本名と、誕生日にちなんだ「0913」を並べた文字列を入力してみると、ロックを突破することができた。自分の単純さに、少し恥ずかしくなる。

 このCMについて、なにか情報を得られるかもしれない。

 翌日、YouTubeに投稿されていた「懐かしローカルCM集 その2」は削除されていた。

 無断転載による著作権ポリシーに触れたのかと思いきや、アップロード者が自主的に投稿を削除したらしかった。このチャンネルはほかに動画を投稿していない。アルファベットのランダムなIDそのままのユーザー名、デフォルトから変更していないアイコン画像など、ほかに特徴的な要素はなにもないチャンネルだった。

 チャンネルの管理人がこのタイミングで投稿を消した理由は不可解だが、ちょうどのタイミングで大きな手がかりが手に入って良かったと思う。