#02 アクスラについて
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工場見学
あの日以来、CM研究者とは会っておらず、連絡も取っていない。地元の旧友たちはもうすでにアクスラやあのポスターをめぐる小さな騒動に対する興味を失っているようで、それについて話し合う相手もいなくなった。
実家に住む家族にアクスラについて尋ねてみても、知らない、よく覚えていない、の一点張りだった。なにかを隠しているわけではなく、本当になにも知らないようだった。むしろ、いきなり数十年前の終売商品に執着しだした私のことを少し気味悪がっているようにも見えた。
どういうわけか、私はアクスラについての関心を捨て去ることができなかった。余暇の時間を見つけてはCM研究者から提供してもらった映像や波形のデータを何度も見返し、なにか新たな発見がないかしらみつぶしに探し続けていた。
アクスラは今でいうエナジードリンクのような効能を売りにしていたのではないか、と憶測できる。ラベルにはカフェインの含有が謳われているし、CMの描写でも、仕事や勉強、レジャーなどに合わせて飲用することを推奨しているように見える。
だとすると、なかなか先見の明のあるメーカーだったかもしれない。レッドブルやモンスターエナジー(注6)などのポピュラーなドリンクより先に、アクティブな中高生や若者をターゲットとしたドリンクを売り出そうとしていたわけだ。
依然として、ネット上には目立った情報はない。
曖昧な記憶と憶測ばかりで、あまり当てになりそうなものは見つからなかった。アクスラを受験勉強のかたわら眠気覚ましに飲んでいた、との投稿を見つけた。当時としては多いカフェインの含有量は印象的で、保護者からは飲用を禁止されていたとのことだ。
コカ・コーラのコカはコカの葉(注7)のことである、とよく言われる。販売最初期にはコカインの成分を配合していることを売りにしていて、疲労回復や頭痛の改善などに用いられていたそうだ。現在においても、コカ・コーラの具体的なレシピは一般公開されていない。
そのような雑学をふと思い出す。CM映像に映り込んでいる成分表表示から、アセロラ果汁入りのフレーバーであることは憶測できる。具体的な原材料を特定できれば、ある程度再現できるかもしれない。
とある影響力のあるユーザーがアクスラについて取り上げていた。それに乗じて、私のアカウントもそれなりに拡散されはじめたようだ。ノスタルジーの感情を刺激しつつもどこか手に取りやすい手頃なささやかな謎として、アクスラをめぐる言説はにわかに流行しつつある。
アクスラの販売地域の出身者であると名乗り上げることもできたが、しなかった。
そもそもアクスラなどという商品は実在せず、とあるクリエイターが作った昭和風ジョークCMがひとり歩きしたものである、という論も提唱されている。よくできたネットミームが、集団的なデジャヴ(注8)を引き起こしているのかもしれない。
私は有給を取得し、ふたたび地元へと足を運ぶことに決めた。
どこか、この謎は自分だけのものである、という思いがあった。曲がりなりにも父の生きた証であるアクスラが不特定多数の大衆に興味の対象として消費されている構造には居心地の悪いものがあったし、なにより、自分には真相を知る権利と、義務があるという自負が生まれていた。
本来知っているはずのものを知らない、その状況がなんとも歯痒かった。
帰省のためにキャリーバッグを準備したとき、前回の荷物がそのままになっていることに気づく。なにか硬い板のようなものがバッグから落ちて、足の指に当たった。
痛みを感じながら拾い上げる。家をあとにする前に、母がよこした小学校の卒業アルバムだった。
落としたはずみでケースが外れた。ふとページを開いてみる。遠足のときの記録だろうか、あどけない表情の児童がたくさん写っている。もはや誰が誰だが、昔の自分がどれだかすら分からない。公園でレジャーシートを広げ、弁当を囲んでいる写真だ。
そういえば、と思い出す。小学生のとき、ジュース工場見学に行かされたはずだった。アクスラを製造していたあの会社の工場だ。もしかしたら、なにか手がかりが映り込んでいるかもしれない。
私は慌ててページをめくっていく。硬い材質の紙の角で、指を少し傷つけてしまった。3年生のページ、「工場見学」という項目を見つける。貼り付けられている写真に目を落とす。
私は思わず息を呑んだ。
工場見学については見開きで4ページが用いられていて、10点ほどの写真が載せられている。列をなしてベルトコンベアを眺めていたり、笑顔でアメニティ(注9)のジュースを手にしたりしている児童の写真がある。
(C)そのいずれにも、油性ペンで塗りつぶされた跡があった。児童の姿にはなにも手を加えられていないが、工場内の様子や製品が写った写真など、会社に関わるあらゆるものが目視できないよう、黒く塗られている。
インクはすっかり古く乾いているようだった。当然、爪や指で擦っても消えない。雑に塗りつぶされた写真はなんだか気味が悪く、歪に思える。動機が不明だし、もし工場についての情報を隠匿するのが目的であるのなら、該当ページを破り捨てるか、アルバムそのものを処分するべきだ。
図-7
当然このアルバムは私の私物であったから、手を加えられるのは実家にいる家族だけだ。この加工はいつなされたものなのか、まったく見当がつかない。卒業アルバムなんて当人は見返さない。今の今まで、これに気づく由はなかった。
アクスラにはなにか、ただならぬ事情がある。私の憶測は、より確信に近づいた。
アルバムのほかのページをめくってみる。ほかに工場にまつわる情報はないようだった。
そう結論づけて本を閉じようとしたとき、うしろのほうにあるクラス写真が目に入った。
児童が作ったと思しき、空き缶をテープでぐるぐる巻きにしてまとめた工作に目が止まった。ロボットかなにかを作ったのだろうか、胴体や手足のような構造が見て取れる。
10本ほどの空き缶を使った制作物に、ひときわ目に止まるパーツがある。白を基調とした缶……目を凝らしてじっと見てみると、明らかにアクスラのものと同一だった。
図-8
やはりアクスラはあって、空き缶を工作の材料にするくらい……身近なものだった。ロボットのパーツになっているほかの缶にも見覚えがある。今でもどこでも買えるような、著名なメーカーの飲料だ。
会社の情報を塗りつぶした何者かも、このページだけは見落としていたらしい。
前回の訪問時、蔵に残っているポスター以外に会社に関連する物品はなかった。もしかしたら、自分が無意識のうちに処分してしまった可能性もある。
今回は実家に立ち寄るつもりはない。帰省の旨も家族に伝えなかった。
ネット上にも、グーグルマップ(注10)にも反映されていないが、かつて工場があった場所はだいたい目星がついていた。駅前でレンタカーを借りて、記憶を頼りに手探りでそこを目指してみる。
しばらく、カーナビに反映されていない道を走り続けた。
数時間ほど山道を彷徨っていると、見覚えのある建物が目に入る。雑草が繁茂しているが、紛れもなく、当時の飲料工場だった。
付近に車を停めて、それに近づく。
入口には錠前のかかった錆びたフェンスがある。2メートルほどの高さで、有刺鉄線などはない。よじ登ることもできそうだった。
私は意を決して、フェンスをまたいで工場の敷地へと飛び降りた。
附録
██████は、██県██市(旧██町(注11))に本社を置いていた飲料メーカーである。事業内容は清涼飲料水の製造および販売。
19██年 █月、廃業。
同年、旧██町は隣接地であった●●●村(注12)と合併し、██市となる。
アクスラは、 19██年 █月〜 19██年 █月に██████より製造・販売されていたとされる清涼飲料水。
アクスラはアセロラ果汁5%配合の炭酸飲料であり、当時〔いつ?〕としては画期的であった80mgのカフェイン含有量が特徴。
また、20██年█月ごろより、本製品を題材とした都市伝説ないしインターネット・ミームが流行を見せる〔要出典〕。
「誰も正体を知らないドリンク」として、その正体を探るムーブメントがSNSのコミュニティを中心に発足した。
販売期間には██地方を中心に、ローカル局・████放送でテレビCMが放送されていた。キャッチコピーは「覚えてくれたよね」。
これは商品の宣伝そのものではなく、CMを通じて、旧██町の住民に対し██を試行することを目的としたものとされている〔誰によって?〕〔編集済〕。
廃工場に遺体 地域住人が発見
██県██市で█日夕方、東京都在住の会社員・中村█太さん(26)が死亡しているのが見つかった。死因は現在判明しておらず、現在██県警により捜査が行われている。
現場は██市の工場跡地であり、地域住人が路上駐車されているレンタカーを発見した。不審に思いその方向に向かうと、フェンスを乗り越えた跡があったという。
中村さんが閉鎖を超えて工場内に侵入した際、何者かに襲われた可能性があると捜査関係者が明らかにした。
なお、現場の工場を所有していた
██████は 19██年 █月に廃業、飲料事業からは完全に撤退している。死亡時、中村さんは当時の商品と思しき缶を所持していたが、事件との関連性は不明。
(██日報)
記録 署名:中村█一郎
19██年 3月 ██日
先生は私に手段を与えてくれた。
私はあの町を滅ぼさなければならない。
これ以上、奪われるわけにはいかない。
19██年 3月 ██日
●●●村に住む███が身を投げた。
私の唯一の友だった。
19██年 3月 ██日
呪いとは目的ではなく、手段なのだという。
私は商品開発部となった。
19██年 8月 2日
宣伝部の社員と知り合った。
彼女に私の計画を話す。数名の協力者を得る。
19██年 8月 ██日
私たちは結ばれることになった。
19██年 7月 ██日
ついに計画を実行に移す。
商品名を「アクスラ」に決定。
19██年 9月 13日
ふたりめの子どもが生まれた。
彼はこの町にとどまっているべきではない。
19██年 8月 ██日
一定数のアクスラの流通を確認。
19██年 11月 21日
総勢35名の失明、および41名の意識不明を記録。
各地方メディアへのリークを開始。
19██年 11月 ██日
すでに目的は達成した。(D)もうアクスラは必要ない。
すべての犠牲者に黙祷を捧げる。
19██年 ██月 ██日
合併が発表される。
██町は地図上から消滅した。
20██年 █月 █日
当手記をここに保管する。
これをもって、全工程を完了とする。
【注釈】
1. メタノール
アルコールの一種。吸引や誤飲による摂取により、視神経を損傷し失明をもたらす中毒症状が知られる。
2. サイネージ
広告看板や標識などの掲示物。
3. 「お前、これはダメだよ、なんでこんな……」
この友人は、アクスラの呪いが現在も残存していることを知っている。彼は心からの善意で、発掘されたポスターを破いた。
4. サブリミナル効果
視覚や聴覚などで認識できないレベルの刺激で、潜在意識に働きかける現象。映像の中に、1コマだけ別画像を挿入する手法などが有名。テレビCMなどの広告宣伝ないし放送で用いることは法律で禁止されている。
5. 不協和音
和音(コード)のうち、調和していない音のこと。おもに不安定で不自然な印象を与えるもの。
6. レッドブルやモンスターエナジー
いずれも、著名なエナジードリンクの銘柄。カフェインの含有量の多さが特徴。
7. コカの葉
おもに南米地域を原産とするコカノキの葉。コカインを抽出できる。なお、コカインの関連性をはじめとするコカ・コーラにまつわる都市伝説は「コークロア」と総称されることがある。
8. デジャヴ
経験していないことにも関わらず、あたかもそれを知っているように感じる現象のこと。既視感。
9. アメニティ
「快適さ」を意味する言葉。転じて、ホテルなどで提供される無料の備品。ここでは、来場者に配られる粗品のこと。
10.グーグルマップ
Googleが提供する地図アプリケーション。ストリートビューや目的地へのルート検索といった機能がある。
11.旧██町
高度経済成長期の末に工業化に成功し、爆発的な富を得た。しかし、それにともなう水質汚染問題が発生。これは周辺の地域にも影響を及ぼした。19██年に隣村と合併し、██市として統合された。
12.旧●●●村
高度経済成長期の時代、隣町が誘致した工場の排水が原因となり、重金属汚染が発生。多くの住民に健康被害が発生した。19██年に公害として認定されたものの、旧自治体や企業に対する係争は依然として続いている。