#04 隣人

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通話記録 3

図-8

「すみません。先週、隣人の件でお電話させていただいた松山ですが……」

「少々お待ちください」

(保留音)

「お電話変わりました、██です。その後、なにか進展ございましたでしょうか」

「ええと、依然として騒音のほうは続いておりまして、というか、隣人は頭がおかしいです。何か金属の棒で、アパートの壁を何度も叩いているところを見ました。身の危険を感じます。なんとかしてください」

「なるほど。こちらも対応のほう進めて参りますね。それでは、ほかになにかございましたらまたご連絡ください」

「え、それだけですか?」

「恐れ入ります」

「ちょっと待ってくだ……」

(通話が切れる)

裏目

図-9

 前職では、私はそれなりに重要なポスト(注5)についていた。

 退職は今も不本意に思っている。

 私は大型のプロジェクトを主導することになり、岡田という部下にクリエイティブ周りを一任した。岡田は私のチームに加わって日が浅かったが、卓越したセンスには注目に値するものがあった。

 彼女にとって、その仕事が大きな成長のきっかけになれば、という思いがあった。

 しかし、その判断は裏目に出た。

 岡田はほぼ固まりつつあったクリエイティブに突然異議を唱えたかと思うと、仕事から降りると言い出した(注6)。

 そのゴタゴタのせいでプロジェクトは停滞し、不完全な状態での納品を余儀なくされた。結果、私のチームはクライアントからも会社からも大きく信用を落とすことになった。

 岡田はすべての責任を私に押し付けたばかりか、上司に虚偽の報告までして、私を貶めた。社内での立場を失い、出世ルートを絶たれた私は、やむを得ず職場を後にした(注7)。

 今思えば、私は岡田にはめられたのだ。

 彼女は私の実績や評価(注8)、そして未来まで、すべてをかすめ取っていった。

 隣の部屋から物音が聞こえるたびに、私は過去の決断を後悔する。

 もっとうまく立ち回っていれば(注9)、岡田にチャンスを与えようなどと思わなければ、仕事を失うこともなく、このような質の悪いアパートに引っ越すこともなかった。

 くそっ、くそっ、くそっ……。

6日前

 今日の分の仕事を終え、イヤホンを外す。

 今は、隣の部屋から騒音は聞こえない。珍しいことだった。

 少しホッとする。久方ぶりの(イ)セイジャクを感じる。

 つかの間、バン、と大きな音がベランダの方から聞こえた。隣人が立てる物音とは違う。鳥か何かが窓にぶつかったのだろうか。

 ベランダに出るために、閉めたままのカーテンを開けた。外は暗くなり始めていた。手にしたスマホのライトを足元にかざして確認するも、なにも見つからない。

 気のせいだったのだろうか。隣人のせいで、物音に敏感になりすぎているようだ。自己嫌悪に陥りつつ、部屋に戻る。

 そのとき、隣の部屋のベランダが見える。電気はついていない。不在なのだろうか。

図-10

 四六時中、不気味な物音を立てる迷惑な隣人だって、ずっと家に滞在しているわけではない。

 少なくとも、今の時間は安全だ。私は胸を撫で下ろしつつ、部屋に戻ろうとする。

 そのとき隣から、シャッ、と鋭くカーテンを閉める音がした。

 私は息が詰まりそうになった。無心で部屋の中に滑り込む。

 奴は今も、そこにいる——

 動転のあまり、棚に肩をぶつけた。テレビのリモコンが床に落ちる。テレビを見る習慣はないので、埃をかぶっていた。

 拾い上げようとして、誤ってそれを踏んだ。足が電源ボタンに触れ、画面がつく。

図-11

「本日未明、東京都……区………で、身元…明の……の遺体が発見されました。遺体は……を損壊しており、強く切りつけられた跡が多数見受け……ことから、警視庁は事件性のあるものとして調査を……」

 耳が痺れるほどの爆音が私を襲った。

 どういうわけか、テレビの音量設定が最大になっている。

「次のニュースです。株式会…………疑惑について、会長の………氏が会見を……た」

 足元と指先が震えて、思うように動かない。リモコンを拾い上げようとするが、ままならない。

 爆音のせいでノイズが走り、内容もまともに聞き取れない。

 呼吸が荒くなる。足元がおぼつかなくなり、その場に倒れ込んだ。

 側頭部をテレビ台の角に強く打ちつけ、ひどい痛みを感じる。

 テレビはなにかの会見の場面を映している。パシャパシャ、というカメラの激しいフラッシュ音が神経をむしばむ。

 倒れた先に、コンセントに刺さったままのプラグがあった。

「……発見さ…た幼児は………頭部を激しく……ほか、切断された……」

 私は無我夢中でそれを引き抜く。

 プツン、とテレビの電源が切れる。

 私は床に横たわったまま、呼吸を整える。袖口で目尻に溜まった涙を拭う。

図-12

 ピーンポーン、とインターホンが鳴った。

 私は仰向けになりながら袖口を口元に押し当て、思わず息を殺した。

 ふたたびインターホンが鳴る。

 その後も、何者かは数回インターホンを鳴らした。私が応答しないでいると、扉をドンドン、ドンドン、と叩き始めた。私が部屋の中にいることはわかりきっているかのようだった。

 やりすごせそうにない。

 私は観念してよろよろと立ち上がり、足音を立てないように恐る恐るインターホンへと近づく。

 インターホンのモニターを見る。

図-13

 玄関の前に立っているのは若い男性だった。

 ほかの入居者だろうか。少なくとも、あの隣人ではない。

 私はゆっくりと鍵を開け、ドアノブを押した。

 男は顔をしかめた。私と目を合わせたのち、口を開く。

「今何時だと思ってるんですか」

 不機嫌そうに言う。

「下の階まで聞こえてましたよ。テレビの音。寝られないんですけど」

 私は謝罪の言葉を口にする(注10)。

 男は舌打ちをしてから、その場を去っていった。

 しばらくして、私はゴミを捨てるために部屋を出た。朝に不燃ゴミを回収してもらうために、深夜のうちに出すことにする。

 こんな目に遭った日でも、生活は続く。不燃ゴミは2週間に一度しか出せない。気分は最悪だが、ここを逃すと面倒だ。

 少しだけでも身体を動かして気分をマシなものにしようと思った。予備のイヤホンをつけ、上着を羽織る。

 玄関の扉を開けたとき、外側になにかが引っかかるのを感じた。

 この前の時と同じ、黒いゴミ袋がそこにあった。

図-14

「くそっ!」

 私は怒りと苛立ちを覚える。思わず口から悪態と舌打ちが漏れた。その音は私にも聞こえない。

 今はとにかく無気力だった。とにかくそれを自分のテリトリーの外にどかしたいという思いがいっぱいで、自分のゴミと一緒にまとめて口を手に取った。

 それらをまとめてゴミ捨て場に置き去る。

 みじめな気分だった。